2015年12月30日

【オリジナル曲】 街灯

夜明け

written by Shim





いっそすべてを やめてしまおうか
沈んでいく体を引きずる

きっといつしか 忘れられるだろう
どこかでそれを 願っているのかも
かすむ空気 街灯が灯る
優しげに 誘うその光

そんなこと 今日は 何となく 思う
踏み出したその足を 戻すすべを探して
傾いた月の影が ビルの陰に消える

目についたものから 投げつけてみたり
手当たり次第に 火をつけてみたり
今日もどこかで 誰かが泣いてる 
小さな声はかき消されてゆく

こんなこと 信じて それでも 信じて
振り上げたその腕を 振り下ろせるときはいつだ?
張り裂けて消える声を 遠くで聞いている

こんなこと いつか こんな日は いつか
笑えるかな 穏やかな 春の日差しを夢見て
燻った願いを今 燃やして眠るだけ
燃やして眠るだけ






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posted by Shim at 02:04| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月05日

ロックバンドの帰還 〜REFLECTION {Naked} 

Mr.Childrenのニューアルバム,REFLECTIONが発売となった。実は現在まだ聞き終わっていないのだが,この気分はアルバムを聴き終わっても変わらないと確信出来るため、この思いを書き記す。


素晴らしい。


前回の記事で、小林武史が離れたからといってミスチルの音楽が大きく変わることはないだろうなどと書いたが、その心配は杞憂に終わった。デビューから23年を迎えたバンドが、どうしてこんなにも新鮮で心を揺さぶる音が奏でられるのか。優しいのにヒリヒリとして、ポップなのに冷徹で、時には心の隙間を切り裂かれるような衝撃を受けたのはいつ以来だろう。

正直、これからのミスチルに過去に受けたような衝撃や感動を期待することはあきらめていた。それでも、今までにミスチルから受けた感動は紛れもないもので、活動を続け新作をリリースしてくれるだけでも十分だと思っていた。似たような曲ばかりでも仕方がない。桜井だって人間だ。いつまでも新しいものを生み出せることはないのだと思っていた。だが、やはり桜井は天才だった。セルフプロデュースの試行錯誤の中で生み出した作品はどれもこれまでにない種類の光を放っていて、長く忘れていた心象風景を呼び起こされるようだった。これがミスチルがミスチルたる所以である。やっぱりミスチルでなくちゃダメなんだと思わせてくれる作品をこうして聴けることに素直に感謝したい。

ロックとは何か?この使い古された問いに答えを求めることには何の価値もないことは重々承知している。だが、仮にロックとは、何かに対する強い意思のもとに鳴らされる音楽であると定義したとしよう。その意味においては、新たな可能性を模索し、強い欲求をもって主体的に音楽を鳴らすことをミスターチルドレンが求めたのが、このREFLECTION {Naked}なのではないだろうか。そしてその欲求が、この作品を近年の作品とは明らかに異なる空気をまとわせているのだろう。国民的バンドとまで呼ばれるようになったグループが、更なる変貌を遂げ、ロックバンドとしてメインストリームに返り咲くと同時に、新たな一歩を踏み出した記念作品である。



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posted by Shim at 01:24| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月19日

Mr.Children "足音〜be strong" にまつわる雑感

ミスチルの久々のニューシングルが発売された。

 まず驚いたのが、タイトル曲である”足音〜be strong”のクレジットから小林武史の名前が消えていたこと。この10年以上、ファンの間ではミスチルの音楽がマンネリ化してきたという議論が絶えず、その原因は少なからず小林武史にあるという論調が多かった。自分も同じような意見を持ってきたが、今回ついにミスチルは初のセルフプロデュースを行った。肝心のサウンドだが、ストリングも多用した壮大なロックバラードであるとともに左右からエッジの立ったギターがきちんと聞こえて、”終わりなき旅”を彷彿とさせるものに感じた。曲は初聴したときはサビのメロディーがイマイチだなあと思ったが、繰り返し聞くうちに、最近はない力強さを感じるようになった。何より、ミスチルが活動23年目にして初の試みを行い、シングルとしてCDをリリースしたことがうれしいのだが。

 そんなこんなで、3曲入りの今回のシングルCDを聞きながらふと、ミスチルの、言い換えれば桜井和寿の音楽性について考えをめぐらせてみた。自分の場合、ミスチルとの出会いは高校の時友人に勧められたのがきっかけだった。ちょうどアルバム”Q”のリリース時で、その時はさほどピンとこなかったのだが、翌年発売された2枚のベスト盤は高校生の自分の心を完全に打ち抜いた。これまで何となく聞いてきたJ-popとはなんだったのか。これこそが本物の音楽であり、ロックであり、表現というものなのだと思った。そこまで自分を虜にしたのは、特に95年頃からの曲からにじみ出る孤独感、苦悩、弱さといった部分だった。”名もなき詩”,”ALIVE”,”終わりなき旅”.圧倒的な説得力がそこにはあった。一見希望を歌っている曲でも、その背景にはドロドロした混沌が満たされているように思えた。少なくとも当時の自分は、音楽でこのような切り口で表現された曲を知らなかったし、よくあるうわべだけのメッセージソングなんかよりも遥かに心に響いた。

 ベスト盤発売後、人生でこれほど新曲を心待ちにしたことはなかった。しかし期待とは裏腹に、肩透かしを食らうことが続いた。悪い曲ではない。なんせミスチルの新曲である。それだけでうれしいが、夏に自分の心を捉えたのと同レベルの興奮は訪れなかった。簡単に言えば、穏やかで丸くて幸せになったミスチルがそこにはいたのである。希望のメッセージはより確信度が高く、明らかに前に進むことを曲全体が語っていた。当時の自分は、それを簡単に受け入れることができなかった。きっと次はあっと言わせてくれる、自分の心境に寄り添うアルバムになるに違いない。そんな期待をずっと抱いていた。しかし徐々にミスチルの音楽が変化したことを受け入れ始めた。やがて、過去のミスチルから期待する像を押し付けずに聞いた方が楽しめる作品が多いことにも気づき始めた。つまり、最初のベスト盤での出会いでとんでもない興奮が訪れてから、ちょっと自分とミスチルの波長は少しずれたままなのである。

 しかしおそらく、これは多くのファンが抱いた心境なのではないかと思う。実際、某通販サイトのCDレビューやファンサイト掲示板では同様の議論がされてきたのを見てきた。そして、冒頭に述べた小林武史に向けられた批判もこの時期に生まれてきたように思える。小林武史のストリングスやキーボードによるサウンドプロデュースが過剰でロックバンドとしての体を壊しかねないものであることや、ライブでのメンバー以上に演奏で目立つスタイルは個人的には好きでない。だが、ミスチルの近年の楽曲が持つ音楽性がこのようなサウンド面での変化を要求していたということは考えられないだろうか。だとすれば、小林武史だけに責任転嫁をするのはファンの都合であり、小林武史が離れたとしても作品自体は大きく変化しない可能性も考えられるだろう。

 デビュー以降のミスチルを見てみると、内省的な音楽性にバンドサウンド剥き出しでやっていた時期は4年ほど(96年~99年)であり、意外と短い。それでも多くのファンがミスチルにロックバンドとしての姿勢を求めてしまうのは、この時期に生み出された"深海","BOLERO","DISCOVERY"といった作品があまりにも強烈だったからなのだろう。自分も、これらの作品抜きではこれほどのファンにならなかったはずだ。もしかしたら、ミスチル(桜井和寿)からすれば、やっている音楽はそんなに変わっていないつもりなのかもしれない。すなわち、良いポップソングを作るという軸は変わらず、それが一時期はロックに振れていただけなのかもしれない。深海〜DISCOVERY期の暗い内省的な曲は、むしろ当時のミスチルを取り巻く状況のなかで精神的なバランスを崩され、誘発されたものと考えることもできる。桜井氏のこれまでのインタビューなどを見聞きしてみると、本来は明るいポップソングを作ることが自然な人なのではないかと思えてならない。そう考えると、自分を含め多くの人を虜にした時代の作品は、本来の意図した曲とは違ってしまっているのだろうか。世間の状況やプロデュースなど商業的なものに操作された、虚構のものだったのだろうか。

 答えはおそらくNoだろう。音楽制作に向かうメンタリティーがどん底であったとしても、その中で自分と向き合い生み出した音楽があの時期の作品たちだ。取り巻く状況の要因があったにせよ、あれがミスチルの持つ確かな一面であることに揺るぎはないはず。なにより、当時の作品は現在もライブで大事な局面で取り上げられていることから、メンバーたちがいかに重要な曲と認識しているかは明らかだろう。そして、このような紆余曲折を経た現在、仮に深海の頃と同じような精神状況が訪れたとしても、当時と同じような曲が生まれることはないのだろう。

 これまでの活動の中での単純な音楽性の変化を見れば、明るいポップソングからシリアスな音楽へ移行し、再び明るくなったということになるが、単純に以前に戻ったということではない。ただ明るいのではなく、世間を取り巻く悲しみや矛盾を受け入れたうえで、全てを肯定しようとしているのが、近年のミスチルの音楽なのだ。”It's a wonderful world”以降、基本的にこの路線は変わっていない。これが、最近のミスチルが難しい理由なのだと思う。また、”Supemarket Fantasy”のころから、桜井氏はただ単に自分たちが満足する音楽でなく、リスナーの目線を考えて作っている旨の発言をしているが、これも音楽に対する向き合い方が変わってきたことを裏付けているだろう。わざわざ、自己をさらけ出してまで歌いたいことがなくなってしまったのか、あるいはリスナー目線も汲んだ上でさらなる高みを目指そうとしている途中なのか。

 今回のセルフプロデュースは、ミスチルの音楽性をまた変化させるきっかけとなるのだろうか。何があれ、ここまで虜にしてくれた唯一無二のバンドである。今後も応援してゆきたい。




(本文はあくまでも個人のブログでの感想の延長です。これまで雑誌やテレビで見聞きしていた内容については、いつのものであったか確かでないため出典等は載せていません。ご容赦ください。)


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posted by Shim at 15:15| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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